デス・エデュケーションを考えた日

「死」に直面している我が家のpaiを前に、「死」について
考えていました。まとめられるかどうかわかないけれど、何かしていないと落ち着かないので、書いていきます。

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半世紀前に紹介されたデス・エデュケーション

デス・エデューケーションという言葉は、あまり普段聞かないし、使うこともない言葉ですよね。
どちらかと言えば、その話題はタブー視され続けてきたと思います。

ワタシは、ウエルネス普及時代にウエルネスの指導者育成カリキュラム構築の中に「死の準備教育」を取り入れることになり、当時、上智大学の哲学の授業の中で「デス・エデュケーション」を教えていたアルフォンス・デーケン教授にお会いしました。
当時ワタシは30代で、世の中に「死」についての教育があるなんて想像もしていませんでした。
ちょっと怖いなと思いながら、とても穏やかなデーケン教授からデス・エデュケーションの本を頂いたことを記憶しています。ドイツの司祭という変えも持っていることもあり、穏やかな雰囲気を醸し出していました。

本の中身は、30代のチャラーっとしたワタシに理解しきれるものではありませんでしたが、
時代の流れが、この頃から変わってきたと思います。
有名な聖路加病院の日野原重明先生も、1970年代に立ち上げた健康教育活動を目的にしたライフ・プランニングセンターの中で、ホスピスや緩和ケアにデス・エデュケーションが重要課題だと取り組んだそうです。
今、当たり前に語られる「エンディングノート」「死ぬまでにしたい100のコト バケットリスト」も、この流れの中で起きたのではないかと考えます。

どう生きるかを見つめる

「死と生を見つめるセミナー」のようなものが、日本でも広がり始めて、「よりよく生きる」ということを基本に据えたウエルネスライフ教育のデス・エデュケーションは、「どう生きたいか、どう心地よく生きるのか」という「生」をテーマにしたカリキュラムになりました。この少し後に、慶応義塾高等学校の家庭科の授業にとりいれられたという話を聞きました。10代の若者がどんなことを感じて学んだのか?気になるところです。
個人的には、人生をどんな価値観で生きていくのかを考える瞬間があってもいいな~と思っています。なんたって、チャラーーーっとした何も考えていない若者でしたから。
今は、悔いのない人生なんてありえないと思うけれど、できるだけ「よかったな~たのしいな~」の多い人生にしたいと考えてます。


「人生全体の意義は究極的には死をもって決定づけられ、完成されるものであるから、死への準備教育は同時に、よりよく生きるための教育である」(1986年 デーケン)

「デス・エデュケーションはそのまま、自分の死までの毎日を、よりよく生きるための教育(ライフ・エデュケーション)となり、生と死を深く見つめて生きる原点となる」(2001年 デーケン)

おまけ  

7月9日にpaiが亡くなりました。調子が悪いなと気づいてからそんなに時間がたっていませんが、ラストの2日間は苦しんで、やっと死ぬことができました。
そう、看病しているワタシは、「パイを楽に死なせて」とココロから祈っていました。
様子をうかがうたびに、呼吸をしていてガッカリしたし、痙攣が起きても復活するpaiの耳元で「もういいよ」と本気でつぶやきました。
そして、楽に死ねるなら病院に預けようかとも考えたけど、最後まで看取ることがワタシの責任だと思えたから、paiの死を願いながら寄り添っていました。
ペットと暮らす人は、テーマですよね。最後を自宅で看取るのか、病院に預けて危篤の知らせを待つのか?入院していればまだしも、急変時は決断しないといけないけれど、どちらがいいのか、何が正解なのか、いまだにわからない。
ただ、ココロが壊れそうな残酷な2日間でしたが、そのせいか、あまりロスにはなっていません。paiが「楽になれた」ことがとてもうれしいから。

パイが骨になって、骨格をすべて並べて形作っていただいたのを見て、
しっかりしたあごの骨や全部残っている歯、しっぽの先まできちんと立派な骨が並んだ時に、
元気なpaiのまま旅立たせることができて良かったと安堵しました。ワタシの役目は終わったんだと思うことができたと思います。
もちろん寂しいし悲しいし、涙も出るし、メソメソしているけれど、ワタシの中には13年間の濃厚な想い出がたくさん詰まっています。
推定3歳で保護されたその3年間も欲しいところだけど、ワタシと過ごした13年間は確実な13年です。今まで通り朝から眠るまでpaiと会話しながら、独り言を言って過ごしています。
※おまけのオマケ
paiの骨が立派すぎて、予定の骨壺に収まらず、サイズアップしました。最後は後見人さん(弟)と一緒にクスッとしました。   paiらしいな~と。

ただただ感謝です。ワタシと13年間暮らしてくれてありがとう。楽しい時間をありがとう。
いつもたくさん食べてくれてありがとう。幸せな時間をありがとう。

あなたの死を受け入れようとhahaは頑張っています。

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この記事を書いた人

30数年、人生の半分以上を東京で過ごし、
20代は普通のちゃらーっとしたバブル期のOL。
30代はリゾート開発、ウエルネス普及活動の仕事、
40代でフリーになり、ウエルネス関連商品開発や
イベント企画、施設運営に携わってきました。
60代半ばで、ちょっと一休み。
もっと、自分らしく楽しい時間を作りたくて、
田んぼに遊ぶ場所を作ります。
オトナだって遊びたい!
田んぼの中で泥んこになっても気にせず笑える、そんな時間が欲しい。とココロから思えたから。

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